わたしの犬の一生は幸せなものであったと、自信をもって言いたい。

長く生きているといろいろなことがあります。
今から15年前、精神的にボロボロになり仕事を休職し、家から一歩も出ず風呂にも入らず一日中パジャマのまま過ごし毎日出前のカツカレーとちらし寿司ばかり食べていました。幸いなことに早い段階で良い医師にめぐりあう事が出来……たんですけど、そんな話がしたいわけではないのです。
少し回復した頃、なぜか犬を飼うことになります。
しかも大型犬。黒いつやつやのラブラドールの男の子。

よく、人生が180度変わったとかいいますけどそんなレベルではありません。アナザーワールドです。異世界。昨日までわたしがすごしていた世界は一瞬でどこかに消えてしまいました。消さざるを得ませんでした。

外に散歩に行かないといけません。大型犬ですから。だけどどこに散歩に行っていいかもよくわかりません。
とりあえず神宮外苑まで行ったら首輪が抜けて一瞬で逃げ去る犬、パニクる私、一斉にブレーキを踏む走行車、悲鳴をあげる人たち。
走り去った速度と同じ速度で戻ってきて眼の前でちょこんとオスワリする犬。

眼鏡が、携帯が、次々と破壊されていきます。とにかくなんでも口に入れてかじってみたい時期。宮益坂のDocomoへ行くこと月4回、4回目は店長さんらしき人が出てきてしまいました。当然です。実費覚悟です。でも店長さんは小声で言いました。
「もしかしてラブラドール飼いました?わかりますうちもなんです眼鏡もやられませんでした?あぁ…やっぱり…」4回目も無償で交換してくれました。
ちなみに公園通りの999.9(フォーナインズ)の人も「もしかしてラブラドール…あぁやっぱり…お客さんでいるんですよ、こないだ10個目記念でしたあはは」なんて。

ラブラドールを飼った人は必ず通過すると思うのですがそのあまりの鉄砲玉っぷりに
「うちの犬はもしかして頭のネジが一本足りないのではないか」
「ちょっとおかしい子なのではないか」「なぜこんな爆弾を飼ってしまったのか」
と悩む時期があると思います。わたしは幸運にもたまたま散歩に行った代々木公園で、たまたまそこで犬を遊ばせていたお兄さんに「犬なんてがっちり散歩してヘトヘトに疲れさせておいしいご飯をたくさん食わせりゃすぐ寝るよ大丈夫」と言われ即採用し華麗に育児ノイローゼを乗り切ることができました。
以降毎朝代々木公園に行きました。雨の日も。
余談ですがその後そのお兄さんを一度もお見かけしたことがなく、あれは神の使者かなんかだと今でもかなり真剣に思っています。連れている犬はビズラーでした。

代々木公園から逃げちゃったこともありました。好きな子を追いかけるためです。
必死で名前を呼び好きな子を追いかける犬を追いかけるわたし。
「あれ…さっき信号のところでよく似たノーリードの犬がいて、しらないオジサンの横でおすわりして信号まってたよ…?あれやっぱそうなんだ」
と言われ公園の外に出ると、反対車線でオスワリして信号を待つ犬。ちゃんと青になって車が止まったのを確認してから渡ってこっちに来て足元でオスワリする犬。偉い。褒めたいけど褒めれないどうすりゃいいんだこういうとき。

青山通りの期間限定犬カフェのフェンスを飛び越え逃げちゃったこともありました。またしても好きな子を追いかけるためです。情熱的です。
青山通りを表参道から青学方面へ疾走。運良く右折して住宅街へ
そこには何かの単位を言いながら難しそうな顔をして明らかに社用の電話をしている商社マンの(社章つけてた)50歳位の男性がいて、男性はスッとしゃがみ片手で犬に手招きをし、喜んで近寄っていった犬の首輪を捕まえ、表情をかえることなく肩に電話を挟みもう片方の手で通話口を塞ぎ、

「大丈夫、うちにもラブラドールいるんです」

と小声でいいながらわたしに犬を引き渡し、電話を続けながらさよならの代わりにサムズアップして青山通りへ消えて行きました。なんてかっこいいんだ。同士よ。


春は桜がきれいで散った花びらで花吹雪をして遊びながら帰宅し、秋は落ち葉の上をサクサクしながら帰りました。
はじめての雪は足が冷たいのかびっくりしていました。

とにかく、毎日、わたしたちはよく歩いた。


アメリカに引っ越してきてしばらくして歩く速度がどんどんゆっくりになり、
3年目の今年、8月の中頃、とうとう自力で立ち上がれなくなりました。
介助して立ち上がれれば歩けるのでカートに乗せて出かけ歩きやすそうなところを選び、出来る限り歩かせました。
彼はもう14歳ですし、わたしも旦那も覚悟していました。

すこしづつ歩く距離が短くなってきて、最後に歩いたのが2週間前。あれ?今日調子いいのかな?と思ったら2mくらい前にフライドチキンの骨が落ちていました。必死で拾いに行くヨボヨボの犬。

まったくもー

感謝祭の日、ターキー(七面鳥)とアイスクリームをたくさん食べてお腹いっぱいで、彼は神様のもとに出発しました。
最後の最期までよく食べよく笑わせてくれる犬でした。

“私達は日本生まれ日本育ちだから感謝祭ってなんの思い入れもなかったの。だけど今日から「犬に感謝する日」になったし、一生忘れないし、みんなもターキー見る度に思い出すでしょだから最高の日取りなんだよイヌに感謝する日なの!感謝祭!”
(コメント欄より抜粋)

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14年前、彼がうちに来て10日後にわたしの30歳の誕生日で
全然まったく誕生日を祝う気分ではなく、それでもケーキだけはどうしても食べたくてイチゴのいっぱい乗った大きいホールケーキを買ってきて、床にケーキをおいて、キャンドルをたてて、自分で自分のためにハッピーバースデーを歌い、真っ暗い部屋で、わたしは体育座りで、まだビーグルくらいの大きさだった犬は教えてもいないのに私の横でおとなしく座って神妙な顔してじっとみていて、キャンドルを吹き消して、自分で自分におめでとうって、小声で言ってみたりして。

あの時はひとりだけどひとりぼっちではなかった、君がいたから。
今は家族がいるけど、またひとりぼっちになってしまった。君がいないから。
だけど大丈夫。わたしはもう30歳の誕生日のときのわたしじゃない。

ありがとうあんこ、14年間ありがとう。