東京の友人が出張で来ていた。
かなり頻繁に来るので近隣に住んでる知人友人より会う回数が多い。
わたしのレストラン知識は食通であるその友人を饗すために構築されたと言っても良い。ありとあらゆるレストランに行ったが、今回は、自分が最近最も気に入っている、小洒落てるけど気軽に飲めるお店に連れて行った。なんとなく。
その友人とは、10年ほど前にTwitter経由で知り合った。別の友人が海外駐在を終え帰国して集まるようになった後のよくある飲み会だったと記憶している。今これを書いていて10年は言いすぎじゃん?と思ったがわたしがアメリカに引っ越してきて5年、Twitterがサービスを開始したのは2006年3月21日、震災は2011年だしどう考えても最低10年経ってる。驚き。
「いやーまこちゃん、お礼言いたかったんだよ」
自己紹介のあと、彼は言った。
「前に気に入ってるジャケットの袖が解れたってツイートしたら、お直しやさん教えてくれたでしょう」「あれ本当に嬉しかったんだよありがとう」
超びっくりした。何年も前のことで、よくTwitterで見かけるタイプの特に珍しくもなんともない他愛もないやり取りの一つで、そんないちいちわざわざお礼言うようなことでもないじゃん?
でも嬉しかった。すごい嬉しかった。お礼言われたこっちがめちゃくちゃ感激した。
その感激は未だに色鮮やかな思い出として残っていて、本人と毎回この話になる。
こういう「ありがとう」をさらっと言える人達ってのは結構いる。
こちらに住んでしばらく経った頃、朝、旦那と年を取りヨチヨチ歩きの犬を散歩していたら通勤中の女性が声をかけてきた。この辺の人は老若男女問わず基本的に皆話し好きで、通勤中の人が声をかけてくることは珍しくなかったのだが、その女性は、日本語で、こう言った。
「まこさんですよね、Twitterでワンちゃんの写真いつも見てて」
えええええええ
でもこれがきっかけで彼女と食事に行くことになった。
そして彼女は言った。
「お礼が言いたかった、ありがとう」
繰り返すが、よくTwitterで見かけるタイプの特に珍しくもなんともない他愛もないやり取りの一つで、そんないちいちわざわざお礼言うようなことでもないじゃん?
更に、この時は「わたしそんなこと言ったっけ?」と自分の言ったことすら覚えていなかった。それくらい本当に日々のよくあるちょっとしたやり取りで、どちらかというと呼吸に近い。何も考えてない。本当に何も考えてないのだ。でもそこに感謝する人ってのは意外と存在する。
何も考えてないからこそ、ありがとうを言われる側は唐突にプレゼントをもらったような気分になる。
嬉しい。
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苦い思い出がある。
30代前半までの飲み歩きのほとんど全ての時間を共有したといっても過言ではない、性的関係が全く無いからこそ気のおけない異性の年上の知人と、ある日、口論になった。
そもそも深夜2時過ぎててお互い相当酔っ払っていたので何度振り返っても本当に何がきっかけだったのか思い出せない。同席していたよく行くレストランのシェフもバーのバーテンダーも「本当に何がきっかけだかわからなかった」と言っている。
口論の末、怒った私は、漫画の一コマのように飲んでいた酒を思いっきり浴びせかけ、席を立って帰ってしまった。同席していたシェフもまた、彼に怒って、やはり帰宅。
とにかくみんななんだか機嫌が悪かった。
付き合いも長いし、言い争いが今までなかったわけではないので「まぁまた飲むときに謝ればいいし」と、そこにいたお店の人を含む全員が思っていた。
ところが、その「また飲む時に」は二度と訪れることはなかった。
彼はその後仕事内容が微妙に変わり、わたしも環境が変わりバタバタと忙しくなり、お互い飲み歩きに割く時間が激減した。連絡は取っていたし、避けているわけではなかったが、とにかくタイミングも悪く、行きつけがほぼ同じだったにも関わらずばったり会うこともなく、そのまま1年が経った頃、共通の知人から、その知人が普段電話をかけてこないような変な時間に留守電が入っていた。
倒れて、意識が戻らない
お通夜の時、棺の前で立ってられないくらい泣いた。人生であれほどショックだったことは一度もなかった。今もこれを書いてて筆が止まってしまう。
なんでいつものように翌日すぐに何事もなかったように連絡しなかったのか、なんで他のことを優先させてしまったのか、何をどう頑張っても後悔しかなかった。
以来、基本的にどんなに怒っても即機嫌を立て直すことにしている。ごめんなさいも光速で言うことにしている。
だけど、よく考えたら、ごめんなさいを言うシチュエーションよりありがとうを言うシチュエーションの方が圧倒的に多いことに気づいた。てかもっと言ったほうがいい。
ごめんなさいよりありがとうをきちんということのほうが、意外と難しい。
そんな自問自答を続けている時、「ありがとう」と言ってくれたのが冒頭の友人だった。
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今年に入ってから暗めのニュースがずっと続いている。
政治経済ネタ大好きニュース中毒のわたしですらTwitter眺めてるとその過剰にギスギスした感じに辟易するようになってきた。例えば誰かが延々と結論の出ないことで言い争っているのを見たなどというわけではないが、全体的にギズギスしてる。
まさに「見えない敵と戦う」感じ。
実際ウイルスは目に見えないのでそうなるのはやむを得ない。もちろん、政治経済議論が多めの情報強者を好んで自分で構築しているTLではあるがいくらなんでも荒みすぎ。
それで、月曜日の深夜、寝る前に
とツイートした。なんかほのぼのニュースないかなーとかそんなノリ。
朝起きてびっくり。二度寝しようかと思ってたけど即目が覚めた。
ちょっと嬉しかったこと、何かがキレイだったとか、何かがおいしかったとか、そんな他愛もないほんとうにちょっとした幸せでリプ欄が埋まってた。中傷とかマウンティングや、議論とか、そういう「負」の行為が絶対出来ないごく普通のシアワセでいっぱいだった。
超感動。もちろん丁寧にお返事しました。お返事することに時間を割いたおかげで荒んだTLをほぼ見ないで終わった。
「Twitterってもともとこういう感じだったよね、そういえば」
と、これを見て友達がメッセージ送ってきた。わたしもそう思う。
全然知らないどこかの誰かの身の回りに起こったちょっといいことを見て自分もなんか幸せになる。もちろん言った本人は誰かを幸せな気分にしようなんて全く思ってない。だって自分の日常に起こったことで他人には全然関係ない。でも不思議なことに聞いた人もなんだか幸せな気分になり「ありがとう」という。お互い何も考えてないのに、そこに生まれるのはあたたかさとありがとう。
ステキ。なんてステキなんでしょうか。
最近忘れてたかもしれないこの感覚は大事にしていきたい。
リプライくれた人、いいねしてくれた人、みんなありがとう